【スポーツから学ぶ】日本サッカー界のレジェンド 三浦知良選手から学ぶ「今を栄光時代にする生き方」

スポーツから学ぶ

どうも、まさひろです。

僕はサッカーが好きなのですが、当時Jリーグの
スーパースターだった三浦知良選手にあこがれたのがキッカケでした。

三浦知良というフルネームよりKAZU(カズ)という名前のほうが
しっくりくる選手です。

53歳になって今なお現役のプロサッカー選手として、
ピッチに立ち続ける日本サッカー界のレジェンド・三浦知良選手。

その三浦知良選手から学ぶ
「今を栄光時代にする生き方」を今回はご紹介していきます。

この「今を栄光時代にする」という意識は、何歳になっても
進化が止まらない人になるための共通の意識です。

この意識を普段の生活に取り入れることで、
何歳になっても若々しい生き方ができると思います。

 

それでは、話を続けていきましょう。

 

高校中退後15歳でブラジルへ

プロのサッカー選手になるため三浦知良選手(以下表記 カズ)は
高校を中退して15歳でブラジルへ向かいます。

当時のカズは、地元静岡でもそれほど有名な選手ではなく、まわりのサッカー関係者からも
それほど評価をされている選手ではありませんでした。

そのため「ブラジルへ行ってプロのサッカー選手になる」というカズの挑戦は
周囲からは「どうせうまくいきっこない」という見方が大半でした。

そんな状況であっても自分の想いを貫き、15歳でブラジルへ渡ったカズ。

言葉や習慣も違う異国の地では苦労の連続だったようです。

ジュベントスのジュベニール(16歳~17歳のチーム)練習生を経て、
キンゼ・デ・ジャヴーのジュニオール(18歳~20歳のチーム)で念願のプロデビュー。

当時カズは18歳でした。

その後、ブラジルの名門サントスFCと契約するも、
たった2試合しか出場できず。

しかもその2試合でカズは活躍することができず。

試合後は、カズに対して観客からの凄まじいブーイングの嵐。
次の日の新聞では「日本に帰った方がいい」などボロカスに叩かれた。

当時ブラジルでは、サッカーが下手な人のことを
「まるで日本人のようだ」と

バカにする言葉があったように、

「日本人=サッカーが下手」という常識が存在していたため、
日本人がサッカーをしていること時点で、カズのことを見下したり、試合会場で観衆から心無い言葉を投げかけられていました。

そのためいいプレーをしたときはブラジル人選手より良く評価。
反対に失敗したときはブラジル人選手よりひどい言われようをしてしまう。

カズはサントスFCではなかなか出場機会に恵まれずに、マツバラというチームにレンタル移籍。

そのマツバラでは移動と環境的なしんどさを味わいます。

試合の会場に向かうのに片道23時間チームの所有するバスに乗り試合会場に向かい、
試合が終わると22時間かかって帰る。

それが週に2回。

当時のカズは「10時間で行けるところが近いと思っていた」とのこと。

試合が終わって帰ってくる場所は、汚いホテルのベッド1つの四畳半ぐらいの部屋。

カズはそんな過酷な毎日を過ごしたこともありました。

そんな厳しい毎日を過ごすなかでも徐々にピッチ上のプレーで結果を
出すようになったカズ。

マツバラ→CRB→キンゼ・デ・ジャヴーとチームを移籍しステップアップ。

しかし、プロ契約を結んで以来2年間はカズは試合で1度もゴールを決めていなかったんです。
そんな状況で迎えた88年3月19日対コリンチャンス戦。(当時カズはキンゼ・デ・ジャヴーに所属)

コリンチャンスはブラジル代表選手を多く抱えるブラジルでも人気のチームのひとつ。

この対コリンチャンス戦はブラジル全土にテレビ中継された州選手権の試合。

そのコリンチャンス相手に、カズは鮮やかなヘディングゴールを挙げ、このカズのゴールが
決勝点となりコリンチャンスにキンゼ・デ・ジャヴーが勝利。

このゴールがカズ自身プロになってからの初ゴールでもあり、
ブラジルのプロチームにおける日本人による初ゴールとなった。

その後、カズはコリチーバへ移籍。
この頃からカズはほとんどの全試合に出場することになり、活躍。

そのカズの活躍を見て、数々のチームからカズのもとにオファーが届く。

そして、カズはサントスFCに移籍。

このサントスFCは、過去にカズを追い出したチーム。
そんな因縁めいたチームにカズは自分のチカラで再び戻ってきたのです。

サントスFCでも活躍を続けるカズ。

ブラジルで活躍する「珍しい」日本人からブラジルの少年や若手選手が憧れる
プロのサッカー選手へとカズに対しての見方が変わっていきました。

日本では認められなかったっていう部分があったから、ブラジルに行って成功して、日本の選手や評価してくれなかった人を必ず見返してやろうって気持ちがあったんです

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

上記のような想いを胸に、ピッチで活躍を続けたことにより、
・ブラジルのスポーツ紙から一般紙に至るまで、一面でカズの活躍を伝えたり、
・ブラジルのサッカー専門誌の表紙がカズのゴールシーンの写真で飾られたり。

「日本人=サッカーが下手」というブラジル人のサッカーに対する見方をカズはたった一人で変えてしまったんです。

ブラジルで確かな地位を確立したカズでしたが、
90年7月。7年半に渡って暮らしたブラジルを離れ帰国します。

カズの帰国

ある意味ブラジルでのキャリアを捨て、帰国したカズ。

カズが所属したのもアマチュアの読売クラブ。
その読売クラブがカズを口説いた一言が
「日本のサッカーを一緒に変えていこう」

読売クラブがカズに提示した契約金は5千万以上だった。
当時プロのサッカーリーグが存在しない日本では破格な金額。

カズは金額ではなく、「ブラジルのプロで活躍した」という自分の実績を
どれだけ評価してくれているかが重要だった。

日本サッカー界に、カズが「世界」を持ち込んだ。

カズが帰国した当時、プロリーグ設立準備長の川渕三郎を中心に
日本サッカーのプロリーグ化に向けての動きも加速。

日本サッカーの変革期に、カズの帰国が重なった。

しかし帰国したカズがいきなり日本で活躍したのではなく、
帰国して1年半はブラジルとのプレースタイルとの違いや
当時の読売クラブ監督との意見の相違もあり1年半は満足のいく時期を過ごせず。

読売クラブの監督がかってカズがブラジルのサントスFCにいたときの監督
ペペに変わったこともあり徐々に日本でも活躍をするようになる。

その後カズは日本代表にも選ばれて、
所属する読売クラブでは日本リーグ、カップ戦
日本代表ではダイナスティカップ、アジアカップ

各大会のMVPを独占することになる。

夢であったワールドカップ出場が幻に

日本代表としてワールドカップに出場することを念頭においての
ブラジルからの帰国。

11歳のときにテレビではじめてワールドカップの生中継を見て以来、
カズにとってワールドカップ出場は大きな目標になった。

僕はブラジルに行って初めて日の丸をつけたいなと思ったんです。日本はワールドカップに行っていなかったし、日本がこんなにブラジルで認められていないかと思うと悔しくて。日本人がサッカーをやっているというだけで、ユニフォームを着てグランドに立っているだけで笑われちゃうんです。

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

日本代表は93年「ドーハの悲劇」によって翌年のアメリカワールドカップの出場をあと一歩のところで逃します。
同時に日本代表の一員だったカズもあと一歩のところでワールドカップに行くことができず。

その4年後フランスワールドカップ出場をかけたアジア最終予選。
「ジョホールバルの奇跡」によって初のワールドカップ出場の切符を手にした日本代表。

カズも日本代表のメンバーとして先頭に立って戦いました。
しかし、フランスワールドカップ本番を控えたスイス・ニヨンでの代表メンバー発表。

カズは結果、代表メンバーから落選。

当時は代表戦で結果を出せていなかったカズに対しての
カズ・バッシングが続いていました。

アジア最終予選のホームで行われたUAE戦では、試合後に一部暴徒化したサポーターが
カズが乗る車めがけてパイプ椅子を投げ、汚い言葉を吐く暴徒化したサポーターに怒ったカズが応戦する騒動も。

僕が個人的に印象に残っているのは、「ジョホールバルの奇跡」でワールドカップ出場を決めた翌日のスポーツ新聞に
「カズの時代は終わった」「カズの代表生き残りは厳しい」等の記事が掲載されていたことでした。

それだけ当時カズに対しての風当たりは強かったです。

それが一変。
日本代表がワールドカップ本大会で3戦全敗に終わると、「なぜカズを選ばなかった」との声が多数を占め、カズは悲劇の主人公に。世間の風向きが変わりました。

でもそんなことはカズの慰めにはなりません。

日本代表をここまで引っ張ってきたのは自分だし、
アジア予選でもカードの累積と怪我の2試合以外では全試合に出場してきた。

だから、自分がワールドカップの出場メンバーに入っても
おかしくないという思いはあった。

でも、メンバーに選ばれなかった。

「僕にとってワールドカップは言葉では言い表せないぐらい重みのあるものだし、人生をかけてやっているもの」

と公言するカズにとって、自分が直前でワールドカップに出れない事実は、受け入れることができないほどのショックだったと思います。

しかしカズは50代を迎えて今なお現役でプロのサッカー選手としてピッチでプレーを続ける秘訣を問われた中で次のように話しています。

ここまでこられたのは、全部のタイミングでしょう。努力もしなければならないし、運もなければならないし。そこでみんなの言う『持っている、持ってない』の話になっちゃうのかもしれない。でも、僕は努力というものを信じたいし、努力に比重を置きたい。

だから、ワールドカップに行けなかったのは、やっぱり自分が努力しなかったからだと思いますよ。あのとき、もっと練習して、私生活ももっと気をつけなければいけなかったんだな、と。それをやらなかったから、行けなかったんだと思う。

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

ワールドカップのメンバー落選は、自分の努力が足りなかったと捉えて、でもその悔しさは忘れず。

しかし周囲や当時の岡田監督を恨むことはせず、その悔しさを推進力として今も現役のプロ選手としてピッチに立ち続ける。

理不尽な出来事を他に責任転嫁するのではなく、自分の成長の糧と捉える。
できるようでなかなかできない意識ですが、その意識を心がけることで、
何歳になってもより進化できる。

カズの姿からはそうしたことを学ぶことができます。

好きなことを仕事にの神髄

2004年からはより長くプロのサッカー選手として活躍するために、年頭グアムでの自主トレをスタート。
さらに徹底した食生活の改善に取り組み始める。

自己意識を変えて、食べ物を変えて。
それを何年もずっとやり通す。

すべては
1日でも長くサッカー選手としてプレーし
1分でも長くピッチに立つために。

サッカーのための人生だけど、その人生も、もう思い切り楽しむという、それが結局、サッカーのモチベーションや集中力につながっていく。それがいままですごくうまく回ってきたという気がするよね。

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

好きなことを仕事にする。

これは僕も賛成です。
ですが、ときに好きなことを仕事にすることは苦労を伴います。

例えばカズのように、サッカーのために
厳しい食事制限で自分の好きなものや美味しいものを食べることができなかったりします。

好きなことを仕事にするうえで伴う苦労を苦労だと思わないことが何より重要。
その苦労を思いきり楽しむ。

誤解してはいけないのは、好きなことを仕事にすることがラクであるってことではないこと。
ラクなことばかりがあるわけではないこと。

好きなことを仕事にし続けるには、このことを忘れないように心がけたいですね。

今を栄光時代にする生き方

ワールドカップには出場することができなかったカズですが、
そんな彼が日本サッカー史を振り返るうえでも歴史に残り、
また人々の記憶にも残り何年も語り継がれるであろうゴールを生み出します。

2011年3月29日。大阪・長居スタジアム。

「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティマッチ がんばろうニッポン!」と銘打たれた
チャリティーマッチが開催されます。

この試合は同月大地震に見舞われた日本を勇気づける意味合いで
日本代表VSJリーグ選抜が戦う。

カズはJリーグ選抜に選ばれ、後半15分から試合に途中出場。

そして迎えた後半37分。

闘莉王からのパスを受けたカズは、日本代表のディフェンダー2人をかわして、
ゴールキーパーの頭越しにシュートを放ち、ゴール。

これからの日本がどうなるのか疑心暗鬼の不安を抱える日本人に
「ドーハの悲劇」や直前でのワールドカップメンバー落選など様々な挫折を経て
今なお現役でプレーを続ける当時44歳のカズのゴールは人々を勇気づける一撃でした。

このゴールについてカズは
「あのゴールは本当に本能だった。普段の練習でやっていたものが出たんだと思う」
と振り返っています。

僕自身は、あの1点がこんなに影響力があるとは思っていなかった。

ただ、あとから、毎日同じことを続けること、コツコツとやっていけばいいこともあるということが、多くの人々の気持ちとつながったのかな、と思った。

あきらめないとか、勇気を持ってとか、そういうキーワードとそんな僕の姿勢がリンクしたのかな、と。

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

多くの人を勇気づけ、今後も語り継がれるであろう伝説のゴール。

しかし、カズはこのゴールに酔うことはなく、常に未来を見据えて今も進み続けています。

ただ、あのゴールはもうあれでいいんですよ。時間とともに古くなっていくんです。思い出には残っても、新しい人も出てくるし、新しいゴールも生まれるし。もちろん試合が終わってもう次の日には『伝説のゴール』と言われたように(笑)、残っていくとは思うよ。でも、僕はそれに酔ってはいけないんです。

今回、どこかで酔っている自分もいて、でもその酔いは危険なんです。そういう意味では、僕はもうあのゴールを振り返っちゃいけない。それは、今回のゴールに限らずいつも僕が思うことで。酔いは捨てて次に向かう、これが大事なんです。

「足に魂こめました」(文春文庫/一志治夫著)より引用

酔いは捨てて次に向かう、これが大事。

これができないから、年齢とともに進化が止まる人がいるのも事実。
過去の栄光に酔い、現状の自分を慰めることはいくらでもできます。

以前の僕もそうでした。
過去の栄光にすがり、今の自分を肯定することができずにいました。

でも、それだといつまでも過去にとらわれたままで、前に進むことができない。
それに気づくことができたからこそ、僕はいまこうして情報発信を続けていくことができています。

この「今を栄光時代にする」生き方は、ジャンルを問わず長年活躍を続ける一流の方々に共通する意識です。

例えばこのブログでも紹介した日本を代表するバンド・Mr.childrenのボーカル桜井和寿さんもその一人。

彼は「今を栄光時代にする」意識のもと今も日本音楽界の第一線で活動を続けています。
Mr.children桜井和寿さんのインタビューから学ぶ「今を最高にする意識」

「今を栄光時代にする」生き方はカズにとっても現役のプロサッカー選手として活動するうえで、さまざまな気づきを与えてくれています。

プロサッカー選手としてサッカーを続けていられる理由のひとつをカズは次のように話しています。

たぶん、いま、僕がサッカーを続けていられるひとつの理由は、毎日毎日まだ新しい発見があるからなんだと思う。『あれ、俺まだこんなプレーができるんだな』とか、シュート練習をしていて。『ここでこう勝負したら入っていけるんだな』とか。そんなことを体感している

日々新たな自分の可能性を発見する喜びをもとに、進化を続けるカズ。

彼のサッカー選手としての「旅」はまだまだ続きそうです。
そんなカズから僕らが学べることはまだまだたくさんあります。

引き続きプロサッカー選手・三浦知良さんに注目していきたいと思っています。

それでは、また!

 

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