「ミッドナイトスワン」小説版を読んでの驚愕の気づき

ミッドナイトスワン

どうも、まさひろです。

草彅剛さん主演映画「ミッドナイトスワン」を映画館で観て以来 ずーっと映画のことが頭から離れることなく日々を過ごしています。

「この作品をより多くの人に観て欲しい」という想いが抑えきれず、
これまでこのブログで2記事お話をさせて頂きました。

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そして今回は小説版「ミッドナイトスワン」の魅力や映画との違いについて
僕なりにお話しをすることでより作品の魅了をお伝えできればと思います。

ちなみに今回も、ネタバレが含まれるので、
まだ映画を観ていない方 もしくは小説版を読んでいない方はご注意ください。

「ミッドナイトスワン」映画版と小説版との違い①

映画版と小説版との違いですが、 ずばり結論からお話すると、
ラストシーンが大きく異なります。

映画では小説版のラストシーンの続きが描かれています。
これが大きな違いです。

僕は個人的には、映画版のラストシーンの方が好きです。

未来や希望を感じるので。
でも小説版には小説版でしか表せない魅力があるんです。

「ミッドナイトスワン」映画版と小説版との違い②

小説版の魅力は、

・映画では描かれていなかった登場人物たちの行動の「ワケ」
・登場人物がなぜその行動に至ったのかについての理由や感情
・映画では描かれなかったエピソード

を読める点です。


ざーっと羅列してみると、次のようなシーンが描かれています。

・凪沙と実の母との関係性がより濃く描かれている

一果の実の母である早織が一果を育児放棄するにいたるワケ

・凪沙の父、一果の父が不在なワケ

・凪沙が帰宅して、一果の前で号泣したワケ

・凪沙の初恋

・一果が初めて実花先生のバレエ教室でレッスンを受けた際に、 ぎこちなくもバレエを踊ることができたのかそのワケ

・凪沙の同僚 瑞貴のその後

・凪沙が働いていた物流会社の先輩男性との間に起こったエピソード

・実花先生の心情や人柄がよりよく分かる

・凪沙がケアを怠って寝たきりにまでなった心情

・実花先生が東広島まで行って、一果のバレエレッスンを行えた経緯

・一果がバレエをすることになぜ早緒が反対していたか? そしてなぜバレエをすることを許したのか?そのワケ

・一果が凪沙にずっと会いに行かなかったワケ。そして会いにいけるようになったワケ

などなど。 小説版を読みことで、映画での登場人物たちの行動のワケや 登場人物たちの性格や人柄をより知ることができます。

下記のようにTwitterにもつぶやいたのですが、

映画館で見たシーンを頭の中で自動的に思い浮かべながら ページを進めることができました。

なので、僕個人としては 映画を観てから小説を読むという流れがおススメです。

もちろん小説だけでも楽しむことができますが、
最初に小説を読んでしまうと登場人物のイメージが自分のなかで 出来上がってしまって、映画を見たときに自分のイメージと違う なんてことが起きたりします。

これって漫画や小説を原作にした映画作品のあるあるのひとつです。

でも、この「ミッドナイトスワン」に関しては、
原作ありきではなく、 映画では描かれなかった背景を読み解く楽しみを味わってほしいんですよね。

また凪沙は草彅さんでないと演じられなかったし、
一果も服部さんでないと演じられなかったと思うんです。

それはどの登場人物においても言うことができます。  

クズな男たちのなかで例外がふたり

映画でもそうですが、小説版でも登場する男たちはクズばかりです。

・一果の父

・女性タレントを連れた男性客

・酔っ払いの男性客

・凪沙の元恋人

・一果を馬鹿にしたクラスメイト

・風俗店の男性客

・りんの父

など。

そんな中で、唯一ふたりの男性だけが まともな男性として描かれています。

それが

・凪沙の初恋相手

・凪沙が働く物流会社の先輩男性 です。

このふたりは映画では登場していなかった人物なので、
小説版を読んで少しホッとしました。

まともな男性もいるんだと分かって。

一度失った希望を取り戻すストーリーだと改めて実感

小説版を読んだことで改めて実感したことが、「ミッドナイトスワン」は 登場人物たちが一度失った希望を取りも出すストーリーだという点です。

登場人物それぞれの希望を表すと、

・一果、りん = バレエ

・凪沙、早織、実花 =  一果

となります。

まずは、一果とりんの希望である「バレエ」について。

一果はすさんだ生活の中で、東広島にいる際にあることがきっかけで
ある人から公園でバレエを習うことになります。

そのバレエはとても楽しくて、すさんだ生活の中でも唯一見出した「希望」でした。
しかし、ある出来事があり、その「バレエ」が出来たなくなると、一果の前からは
「希望」がなくなりました。

でも、東京に出てきて、凪沙と出会い、そしてバレエ教室の実花先生と出会うことで
また希望である「バレエ」と再会することができたんです。

しかし、東広島に帰ると、早織からバレエを禁止されていたので、また「希望」が
一果の前からなくなりました。

けれども、早織の心情の変化や実花先生の尽力もあり、再びバレエに打ち込むことができるようになった一果。

何度も失いかけた自分の「希望」である「バレエ」を一果は取り戻すことができたんです。
そのキッカケを与えてくれたのが凪沙の存在でした。

一方、一果と一緒に実花先生のバレエ教室に通っていた一果の中学の同級生りんにとっても
「バレエ」は希望でした。

しかし、その「希望」はどちらかというと、プロのバレリーナになれなかったりんの母からの「自分の夢を子どもに押し付ける」という「押し付けの希望」。

たとえ押し付けであったとしても、りんにとってバレエは「希望」でした。
しかし、その希望が怪我によって目の前からなくなってしまったとき…。

次は、凪沙と早織と実花の希望である「一果」に関して。

凪沙にとって、一果の存在は、これまでの自分の人生を肯定させてくれる存在です。
トランスジェンダーとして生まれてきた凪沙にとっては、
これまでの人生は自分の存在を否定されるような厳しい現実の連続でした。

自分らしく生きたいだけなのに、そのかすかな願いさえ満足に叶えることができない人生。
出口がまったく見えない暗闇のなかで、もがく日々を過ごしていました。

しかし、一果が現れたことで、母性に目覚め、一果とともに過ごすなかで
女性としての自分の人生を自分で肯定できるようになりました。

一果は凪沙にとって、暗闇のなかで光る「希望」だったんです。
自分の人生を託すことができる存在だとも言えるでしょう。

だからこそ、東広島に帰ってしまった一果を奪い返しに、実家に向かいます。
そしてその「希望」である一果が戻ってこないことを知ったあとに絶望に打ちひしがれるのです。

それが、映画終盤のあの凪沙の姿につながってきます。

一方、一果の実の母である早織にとっても、一果は「希望」でした。
シングルマザーとして、一果を育てると決意した早織。
当初はその決意を胸にマジメな母親であったようです。

しかしある事情から、一果を養うために生活が荒れていき、
いつしか一果を育児放棄するようになります。

そして一果は東京へ。
早織は「希望」を手放してしまったんです。

しかし凪沙の存在が、早織に一果が自分の希望であることを
思い出させます。

東広島まで一果を取り戻そうと乗り込んできた凪沙の存在は
早織にとって恐怖でした。

「希望」を奪われる。

その恐怖心が凪沙や一果にとっての言動につながってきます。

早織も凪沙の登場によって、自分の「希望」である一果の存在を気づかせて
その「希望」を取り戻すことになりました。

そして、バレエ教室の実花先生。
彼女にとっても、一果は「希望」でした。

「世界的なダンサーを自分の手で育てたい」と願う実花先生にとって
バレエの才能にあふれる一果の存在は、そんな長年の願いを叶えてくれる「希望」です。

だからこそ、その一果が、東広島に帰ってしまったあとも、何度も東広島に通う詰めて、
早織を説得。

毎週一回自費で東京から東広島まで通い、一果にバレエのレッスンをする。

実花先生の生活が決して豊かではないことは、小説のなかでも描かれており、
それでも「自分の手で世界的なダンサーを育てる」喜びはなかったんです。

実花先生も「希望」を取り戻すことができました。

そして、この「ミッドナイトスワン」を通して考えたことは、

希望を失うと、人は生きながら死ぬ

ということでした。

お金よりも何よりも人がより自分の人生を生きるためには、
「希望」がないといけない。

また自分の「希望」を見つけられた人がどれほど幸せなのか
改めて考えさせられました。

偏見を生み出すものの正体に気づく

小説版「ミッドナイトスワン」でもっとも印象に残っているのが
映画では描かれていなかった早織の心情です。

映画を観ると
早織は元ヤンキーで、金髪。
一果を育児放棄したことで、ひどい母親というイメージが強かったです。

だからこそ中学を卒業するシーンで登場した早織に違和感を感じていました。

あれだけ一果にひどいことをしてきた早織が、本当に改心したのかが
分からなかったからです。

しかし、今回小説版を読むことで、早織が一果を育児放棄するにいたるワケを知りました。

このワケを知るか知らないかで、早織に対しての印象が変わりました。

また、東広島での実家での凪沙との間に起こったひと悶着も、小説版を読むことで
実の娘を親戚とはいえ他人に奪われてしまう恐怖心から出たと理解することができます。

そして僕は小説版を読み終わって、あることに気づき愕然としました。

それは、僕が早織の表面的な外見や言動でしか、早織という人間を理解しようとしていなかったことでした。

言い換えると、僕がどれだけ

その行動や物事が起きた背景を知ることをせずに、
人の行動や表面的な部分だけで、物事や人を評価しているのか?

の事実に気づいて愕然としました。

物事は一面ではなく、多面であり、人もまた一面ではなく多面である。
その物事や人は見る角度の違いによって見え方が違う。

このことに改めて気づかされました。

そしてこの表面的なことで物事や人を判断することが、
凪沙たちへの偏見につながっている。

凪沙や一果、早織たちが生きづらい世の中を作っているのは、
実は映画を観ている私たちではないか?

このことを映画を観た人に気づかせるために、
あえて映画では登場人物の行動のワケを描かなかったのではないか?

そんなことを小説を読み終えて考えました。

また、「ミッドナイトスワン」はストーリーを勧善懲悪にしていない点も
ポイントだと思っています。

とくに映画では、早織を徹底的に悪く描いていないんですね。

例えば早織を徹底的にヒドイ母親として描いて、そのヒドイ母親に育てられた
一果が凪沙と出会うことで、世界的なバレリーナになり母親を見返す。
あるいは、凪沙と幸せに暮らす。

なんてストーリーにすることもできたと思います。

特に日本では、幼い頃からアンパンマンや戦隊ヒーローなどの
勧善懲悪もののストーリーを観て育ってきたこともあり、
ヒーローが悪を倒して白黒つける勧善懲悪の物語が大好きです。

それは、例えばドラマ「半沢直樹」が大ヒットしたことにも
現れています。

しかし、この勧善懲悪、物事に白黒つける考えこそが、
人や物事を表面的な部分でしか見ていないので
その背景を知ろうとせずに人や物事を評価することにつながります。

そして、この考えが先ほどのように偏見を生む原因につながります。

育児放棄自体は、ヒドイことではありますが、小説版で描かれているような
早織が一果を育児放棄にいたるワケを知ると、早織に対しての印象は変わるし、
同情すべき点もあることが分かります。

こんなことを言っている自分が
いかに偏見の目で早織を観ていたのかを知り、愕然としました。

物事に白黒つけない考え方が、
これから物事や人を見るうえで大事であるってことが、
偏見を生み出さないためにも大事になってきます。

そんなメッセージを今回、小説版「ミッドナイトスワン」を読んで受け取りました。

最後に小説版「ミッドナイトスワン」の魅力をまとめると

1.映画版とは異なるラストシーン

2.映画版では描かれていなかった登場人物たちの行動の「ワケ」
  登場人物がなぜその行動に至ったのかについての理由や感情
  映画では描かれなかったエピソード が読める

3.  クズな男たちだけでなく、まともな男が2人登場
4.  一度失った希望を取り戻すストーリーだと改めて実感できる

5.  偏見を生み出すものの正体に気づくことができる

ぜひ映画を観た方は小説版も読んで欲しいし、
映画をまだ観ていない方は、まだ映画館で観るチャンスがあるならぜひ観て欲しいし、
映画を観れない人はBlu-ray化やDVD化された「ミッドナイトスワン」を観て欲しい。

で、映像で作品を観たあとに、小説版を読んでもらえると、より
「ミッドナイトスワン」の世界観を堪能できると思います。

関連記事と動画では映画「ミッドナイトスワン」の感想をお話しています。
気になる方はぜひこちらもチェックしてみてください。

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ただし、ネタバレを大いに含むので、できれば作品を観てから
記事や動画を見ることをお勧めします。

それでは、また!

 



(↓ちなみに以前コチラの動画で「世の中はシロクロでは割り切れない」ことを学べるドラマを3選ご紹介させて頂いています₎

 

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