白い影とミッドナイトスワンの主人公・直江と凪沙それぞれの生き方に学ぶ

ドラマから学ぶ

どうも、まさひろです。

今回は、中居正広さん主演ドラマ「白い影」と草なぎ剛さん主演映画「ミッドナイトスワン」の共通点に着目してお話をしていきます。

物語のネタバレも含まれるので、ネタバレがイヤだという方は、それぞれの作品を鑑賞後に
これから先をお読みいただければ嬉しいです。

※草なぎ剛さんの「なぎ」の漢字ですが、ご覧いただくデバイス(スマホやPC)によっては漢字が上手く表示されないようなので、ここではひらがなで表記させて頂きます。

※「白い影」、「ミッドナイトスワン」それぞれの物語の魅力に関しては下記の関連記事を参照して頂けると幸いです。

「白い影」
中居正広さん主演ドラマ「白い影」の見どころはココ!

「ミッドナイトスワン」
【個人的号泣シーン3選】映画『ミッドナイトスワン』感想レビュー

「ミッドナイトスワン」小説版を読んでの驚愕の気づき

草彅剛さん主演 映画「ミッドナイトスワン」がすごかった!! ※一部ネタバレあり

[jin-iconbox01]ここから先は「白い影」「ミッドナイトスワン」のネタバレが含まれますのでご注意ください。[/jin-iconbox01]

直江と凪沙それぞれにとっての「生きる希望」

「白い影」の主人公は中居正広さん演じる医師の直江庸介。
一方「ミッドナイトスワン」の主人公は草なぎ剛さん演じるトランスジェンダーの凪沙。

それぞれの主人公が歩んできた人生も違えば、価値観も違います。
しかし、2人には共通点があります。

それは「生きる希望」を見つけたこと。

直江にとっての倫子

「白い影」の主人公・直江にとって、「生きる希望」は同じ病院で看護師として働く志村倫子の笑顔です。

余命いくばくかもない病気を抱えそのことを恩師や以前勤めた長野の病院の同僚医師たち以外には誰にも明かしていない直江。

そんな彼は、人知れず毎日「死」への恐怖と闘いながらも、医師としての人生を全うしようと日々患者と向き合っていました。

残りの人生があとわずかしか残されていない彼は残された医師として患者のために使おうと決心したのと同時に「もう2度と人を愛してはいけない」と決めて、人を遠ざけていました。

自分がもし誰かを愛してしまったら、その愛してしまった人と離れるのが怖くなり、同時に死ぬことが怖くなること。さらには残された最愛の人にツライ想いをさせてしまうなど様々な気持ちが渦巻いたうえでの直江の言動の理由でした。

そんな直江の前に突然、倫子が現れたんです。

直江は倫子に惹かれていく自分に気づきながらも、彼女を遠ざけようとします。それは先ほどお話した直江の言動の理由からです。

ときに直江は倫子に対してツラく当たりますが、そんな自分に対して笑顔を見せてくれる彼女に少しずつ心を開き、最後は倫子の優しさを受け入れるようになります。

そしてそんな最愛の人である倫子の笑顔を失わないために、直江は最後まで倫子に対して「ウソ」をつき続けます。

凪沙にとっての一果

「ミッドナイトスワン」の主人公・凪沙にとって「生きる希望」はいとこの子供である中学生の一果の輝かしい未来。

凪沙は身体は男性で心は女性というトランスジェンダーとして生きてきました。しかし母親にもそのことを打ち明けることができず、ずっと苦しんできました。

東京に出て親には内緒でショーパブで働く凪沙。

そんな彼女は、あるキッカケからいとこの早織の娘である一果を預かることに。

最初は一果を親戚の生意気な子どもとしか見ていなかった凪沙ですが、あるキッカケから次第に一果を自分の本当の娘のように思うようになり、これまで守ってきた自分の女性としてのプライドを捨ててでも一果の将来を考えるように。

トランスジェンダーとして社会の偏見や好奇の目にさらされ続ける日々を送り、母親にすらそのことを打ち明けることができない凪沙は、誰にも自分は必要とされていないという孤独を感じながらこれまで生きてきました。

しかし、一果だけは、そんな自分を必要とし認めてくれる存在です。一果の存在こそが凪沙にとっては「希望」でした。

「この子の将来を守るためには自分の人生はどうなったっていい」

血はつながっていませんが、一果の母親として生きていこうと決めたその後の凪沙の姿は物語のなかでも気高い輝きを放っていました。

直江と凪沙 2人の共通点

直江と凪沙。

2人の主人公に共通するのは
他者を拒絶していても、他者のために生きる姿でした。

一見この言葉は矛盾しているようですが、「白い影」「ミッドナイトスワン」それぞれの物語のなかでの2人の言動を観ていくと納得できるはずです。

直江の場合は、同じ病院で働く同僚医師や看護師等に対しては一定の距離を取り続けます。時として医師として非常識極まりない言動をとって周囲の人間が反発します。

けれども直江は患者に対してどこまでも寄り添おうとする姿勢を最後の最後まで崩すことはありませんでした。その姿は末期がん患者である石倉とのエピソードが象徴しています。

そして倫子と出会い、倫子の笑顔を守ることを人生の優先課題にします。
そこに「自分」はありませんでした。

凪沙の場合は、社会の偏見にさらされて自分の望む人生を歩むことができない暗闇のなかで日々もがき、自分は他者から必要とされていないという孤独を感じ生きてきました。

しかし、自分を必要としてくれる一果と出会い、それ以降彼女の人生は苦しさは変わらないまでも自分は生きているという充実感を得ることができたのではと思います。

それは物語のなかで徐々に心を通わせていく凪沙と一果のやり取りを観ていくと分かります。とくに真夜中の公園で一果と一緒に踊る凪沙は自分はこの子から必要とされているという幸せを噛みしめているように見えました。

自分の幸せよりも一果の将来が大事だと考えた凪沙にとって、いつの日からか一果の存在が生きる希望になりました。ときとして、自分のこれまでの生きてきたプライドを捻じ曲げることが必要とされる場面であっても凪沙は一果のために頑張れました。

最後の最後まで凪沙も「自分」よりも一果の人生を最優先に考えていました。

直江、凪沙ともに2人の主人公から感じるのは、自分よりも最愛の人の幸せを願い生きる気高さでした。

また見逃してはいけないのは当初は、倫子も一果もそれぞれ直江や凪沙に反発するんです。

そんな彼女たちを直江や凪沙も自分の内面に踏み込ませないように遠ざけようとするんですよね。しかし、

倫子は直江が秘める優しさに気づき

一果も凪沙が秘める優しさに気づく

2人が直江や凪沙の秘める内面にある優しさに気づいたことで、2つの物語は大きく展開していくんです。

最愛の人の人生を理解し見守る

さて次は「ミッドナイトスワン」から「他者の人生を理解し見守る」姿勢の大事さについて考えていきたいと思います。

今回は、一果と同級生で同じバレエスクールに通うりんを比較して考えたいと思います。

一果が転校した中学校の同級生で同じバレエスクールに通うりんは、裕福な家庭に生まれてお金持ち。りんの母親は、自分が成し遂げることができなかった「プロのバレリーナになる」という自分の夢を子どものりんに託しています。

自分が果たせなかった夢を子供に託す。

これがやっかいでして、時としてその夢を子供が叶えられなくなったときに、子供は自分の存在意義を見失ってしまいます。

なぜなら、それまで「親の夢」を叶えるための人生を歩んできたので、その夢が叶わないとなると、新たに自分で「夢」を見つけて自分の人生を歩まなくてはいけないからです。

そしてそれまで親の望む人生を歩んでいた子にとっていきなり「今日から自分の人生を歩め」と言われても戸惑うしかないんですよね。

それは「ミッドナイトスワン」の物語中のりんの姿を観ると分かります。

一方、一果はバレエシューズも満足に買えない貧しい境遇。

しかし、りんと違うのは「プロのバレリーナになる」という夢を自分で持ったこと。親に与えられた夢ではないってことがポイントです。

自分でプロのバレリーナになりたいと思い、自分の人生を歩み始めた。それに対して凪沙も実の母である早織も応援してくれたんです。(当初、早織は反対していましたが)

また「白い影」の主人公・直江も倫子に対して、決して自分の人生を託したりはしませんでした。ただいつも、そばにいるとだけ倫子に伝えています。

この「いつも、そばにいる」っていう直江の姿勢は、一果に対する凪沙の姿勢とも共通しています。

決して自分が良いと思う人生を一果に強制しようとしていないんですよね。あくまでいつでもそばにいるというスタンスを崩していません。

そんな想いは言葉にしなくても、倫子や一果おのおの残されたものの心に残り続けます。

家族や友人など自分の近くにいるからこそ、ついついお節介をして時として自分が理想だと思う人生のカタチをその人たちに当てはめてしまいがちですが、彼ら彼女らの人生は彼ら彼女たちのものです。決してあなたのものではありません。

だからこそ、僕たちにできるのは、最愛の人の人生を理解し見守ることしかできないのではないでしょうか?

そんなことも「白い影」「ミッドナイトスワン」2つの物語を通して考えさせられたことのひとつです。

「白い影」「ミッドナイトスワン」ともに生き方を考えさせられる作品

「白い影」「ミッドナイトスワン」ともに鑑賞後は自分の生き方を考えさせてくれる物語です。

とくに、人はいかに自分が幸せになるかだけを考えがちですが、実は自分以外の誰かのために生きるとき人間は輝くを放つということを2つの物語は教えてくれています。

これは少し抽象的な説明になってしまうのですが、

人間は生まれたときからもともと光輝いている存在なのかもしれません。しかし生きていくうちに世間体や偏見、挫折、失敗などなど。自分とは違う他者からもたらされるさまざまな経験をするなかで次第にその輝くが曇ってしまう。

その汚れをなんとか取り除こうとして人はもがくワケですが、どうしてもその汚れが取れない。

しかし、その汚れは他者のために生きることで少しずつ取り除くことができるようになり、本来その人が持っていた輝きが戻る。

他者から汚された輝きは、また他者によって光を取り戻す。
さらに自分をいちばん汚しているのは実は自分自身かもしれません。

その自分をも救う存在が他者なのかもしれません。

直江と倫子、凪沙と一果。
それぞれの物語はそんなことを教えてくれています。

「白い影」と「ミッドナイトスワン」

2つの作品を観ることでより自分の人生を考えることができます。
だからこそ、この2つの物語はおすすめです!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました